
少し前に、
オーガニック系..というか自然派の
大好きなカフェで、少しのあいだ
働かせていただく機会がありました。
双方の条件があわなくてすぐにやめることになったのだけど。
そのカフェは、なるべく可能なかぎり
安全な食材を使い、洗剤や、調理のゴミがでないように等
企業努力、そしてスタッフさん達の日々の努力と意識があった。
だけども、それらも、店舗として営業していく都合上、
完璧にできないところは当然出てくる。
それらを批判するお客さまも、
自然派志向の人の中にはおられるようでした。
働いていた間、お世話になったスタッフさんも、
私がマクロビ実践者で
ベジタリアンであることから、
気を使ってくださったみたいで
「ぜんぜんできてないこといっぱいあるの、
あとで落胆しないように、さきにいっておくね」
と色々説明してくださいました(笑)
だけども、私が見た限り、
そこには通常のカフェや店舗からすれば
はるかに安全性や環境面に配慮されていると思ったし、
できる範囲でベストを尽くしていこうという姿勢が
経営者からスタッフへのトップダウンでなく、
経営者とスタッフひとりひとりが一緒に意識し考え、
限られた時間や店舗経営という制約の中で
行動されていて、
そして試行錯誤しながら、
さらに良くしていきたい、という意識、意図に
ちゃんと息吹が通っていて、
とても素晴らしいと思えました。
私がその中に入って働いてみて、
実際に手と身体を動かしてみて、わかったこと。
外から見て、口先だけでは容易に批判しジャッジしてしまうことも、
中に入ってみれば、
外からはわからない色んな細かい事情や制約があるなかで、
地道な努力によってなされていること。
決して口だけで言うほど簡単ではないこと。
先日、ある人が、オーガニックの食材を扱う企業を
批判されているのを聞きました。
そのときに、少し疑問を感じました。
その企業も、完璧ではなくても、
その他多数の食品の会社よりは、
良いものを扱っているだろうし
企業努力もされてるんだと思う。
問題提起をしなくてはならないことも、
もちろんあるけど、
消費者側が、求めるだけでなく
何を選ぶのか意識し、
努力しなくてはいけないこともあること。
他者に対して、
完璧を求める、というのは、残酷なことだと思う。
完璧を求められてしまった人(組織でもいいのだけど)は、
その「求められた実体のない"完璧"」を
うまくかわせれば良いけれども、
批判されたくないばかりに
完璧を装いはじめることだってある。
実体のないイメージだけの「完璧」というのは、
この世に実質としてありえないから、
完璧を求められた人(組織)が、
もし批判に対して防御的になるなら、
完璧を「装う」しかなくなる。
そして、嘘が生まれる。
嘘は嘘を呼び、もう本当のことが言えなくなる。
それは結果的に、誰にとっても不幸なことだと思う。
誰のためにもならない。
「完璧を装う」背景には、
必ず、批判されることへの恐怖があると思うから。
だから、
人に対しても組織に対しても、
「思いやり」を持つということは大切なことだと
ほんとに思う。
相手の身になること、そのためには
私たちが与えられた想像力というタカラモノを使うこと。
それでも完璧を求めてしまうなら、
自分も行動してやってみること。
他者批判を伴った完璧主義者というのは、
だいたいにおいて、
自分は行動していないものだから(笑)
ネット上などでも、
思いやりを欠いた批判というのをよく見かけるけど、
「完璧にできているかどうか」ではなく、
その人の意図がほんものか
その組織の行動、方向性がほんものか
そういうことを大事にできる社会になればいいな、
そしてほんものであるなら、
その努力や思いや小さな成功を評価して
育んでいけるような
そんな社会になればいいな。
そんなことを思いました。
「思いやり」をもって
・・まずは、自分からですね。(^-^)

オーガニック系..というか自然派の
大好きなカフェで、少しのあいだ
働かせていただく機会がありました。
双方の条件があわなくてすぐにやめることになったのだけど。
そのカフェは、なるべく可能なかぎり
安全な食材を使い、洗剤や、調理のゴミがでないように等
企業努力、そしてスタッフさん達の日々の努力と意識があった。
だけども、それらも、店舗として営業していく都合上、
完璧にできないところは当然出てくる。
それらを批判するお客さまも、
自然派志向の人の中にはおられるようでした。
働いていた間、お世話になったスタッフさんも、
私がマクロビ実践者で
ベジタリアンであることから、
気を使ってくださったみたいで
「ぜんぜんできてないこといっぱいあるの、
あとで落胆しないように、さきにいっておくね」
と色々説明してくださいました(笑)
だけども、私が見た限り、
そこには通常のカフェや店舗からすれば
はるかに安全性や環境面に配慮されていると思ったし、
できる範囲でベストを尽くしていこうという姿勢が
経営者からスタッフへのトップダウンでなく、
経営者とスタッフひとりひとりが一緒に意識し考え、
限られた時間や店舗経営という制約の中で
行動されていて、
そして試行錯誤しながら、
さらに良くしていきたい、という意識、意図に
ちゃんと息吹が通っていて、
とても素晴らしいと思えました。
私がその中に入って働いてみて、
実際に手と身体を動かしてみて、わかったこと。
外から見て、口先だけでは容易に批判しジャッジしてしまうことも、
中に入ってみれば、
外からはわからない色んな細かい事情や制約があるなかで、
地道な努力によってなされていること。
決して口だけで言うほど簡単ではないこと。
先日、ある人が、オーガニックの食材を扱う企業を
批判されているのを聞きました。
そのときに、少し疑問を感じました。
その企業も、完璧ではなくても、
その他多数の食品の会社よりは、
良いものを扱っているだろうし
企業努力もされてるんだと思う。
問題提起をしなくてはならないことも、
もちろんあるけど、
消費者側が、求めるだけでなく
何を選ぶのか意識し、
努力しなくてはいけないこともあること。
他者に対して、
完璧を求める、というのは、残酷なことだと思う。
完璧を求められてしまった人(組織でもいいのだけど)は、
その「求められた実体のない"完璧"」を
うまくかわせれば良いけれども、
批判されたくないばかりに
完璧を装いはじめることだってある。
実体のないイメージだけの「完璧」というのは、
この世に実質としてありえないから、
完璧を求められた人(組織)が、
もし批判に対して防御的になるなら、
完璧を「装う」しかなくなる。
そして、嘘が生まれる。
嘘は嘘を呼び、もう本当のことが言えなくなる。
それは結果的に、誰にとっても不幸なことだと思う。
誰のためにもならない。
「完璧を装う」背景には、
必ず、批判されることへの恐怖があると思うから。
だから、
人に対しても組織に対しても、
「思いやり」を持つということは大切なことだと
ほんとに思う。
相手の身になること、そのためには
私たちが与えられた想像力というタカラモノを使うこと。
それでも完璧を求めてしまうなら、
自分も行動してやってみること。
他者批判を伴った完璧主義者というのは、
だいたいにおいて、
自分は行動していないものだから(笑)
ネット上などでも、
思いやりを欠いた批判というのをよく見かけるけど、
「完璧にできているかどうか」ではなく、
その人の意図がほんものか
その組織の行動、方向性がほんものか
そういうことを大事にできる社会になればいいな、
そしてほんものであるなら、
その努力や思いや小さな成功を評価して
育んでいけるような
そんな社会になればいいな。
そんなことを思いました。
「思いやり」をもって
・・まずは、自分からですね。(^-^)

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- ルンな日 (2013/07/31)
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- はじまり (2013/07/27)
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この記事へのコメント
そういう場面て、たまに見かけますね。
出来てない部分を指摘して突っつくだけとか、なんだか窮屈で嫌な感じを受けます。
出来てない部分と出来てる部分を冷静に見て、会話したらいいのになぁ~と思います。
だって完璧な人間なんて居ないしね。
出来てない部分を指摘して突っつくだけとか、なんだか窮屈で嫌な感じを受けます。
出来てない部分と出来てる部分を冷静に見て、会話したらいいのになぁ~と思います。
だって完璧な人間なんて居ないしね。
2013/07/30 (火) 19:02:12 | URL | マーフィー #bhx2DDvM[ 編集]
> マーフィーさん
そうですね。
なんだか、優しい地球になればいいな〜と思います(^-^)♪
そうですね。
なんだか、優しい地球になればいいな〜と思います(^-^)♪
2013/07/30 (火) 23:01:43 | URL | little-tree #-[ 編集]

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