little-treeの Tree of Life
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女性性ー育む、ということ
おもにスピリチュアルとか占星術の世界で
女性性の時代、といわれていますが
肝心の「女性性」とはなんぞや??
ということには、
あまり的確なことを言ってる人はいなくて、
以前はただ茫漠と、「女性性」という
イメージの海が暗く延々と広がってるだけような
印象を持っていました(笑)

世間では、いろんなものがいろんな理由で「女性性」と名付けられていますが(笑)
まさにいろんな切り口がありますよね。
「身体」もあるし、時代的なイメージもあるし
コマーシャル的な刷り込みもある。
食養の観点からみれば、日々の食事でも感じ方が変わります。

でも私は、これからの時代の「女性性」は
もっと根源的なものなんじゃないかしらと
思っていました。

フリフリふわふわイメージ(笑)とか
身体のラインを強調するファッションは
どうしても「女性性」というよりは、
なんというか、(良い悪いではなく)
もっと幼児性に近いものとか、、
男性ありきでの女性像・・
さらに策略的?だからむしろ男性性に近いようにも感じてしまう。
(それはたぶん、ヨーロッパのある時代の流行(女性、または一部の男性のいきのこり策)に端を発してそうですもんね)

逆に「女性が自分のやりたいことをバリバリやって・・」というのは、明らかに少し前の時代性に即したフェミニズム思考的で、
こちらもまず「男性」がありきで、そのうえでの
「女性像」な感じがするわけなので・・、

    ・

あの岡本太郎さんの
男女、という字を思い出します。
"やっぱりいつの世も、
男が上で、女が下なんですね。"
と私が問うと、岡本さんはおっしゃいました。
"当たり前じゃないか、
いつだって、男は女に支えられてんだって。"

そう、
みんな女から生まれているんだから、
誤解を恐れずにいえば、
本来、女ありき、女が下(ベース)、なんですよね(笑)

男女
webから拝借m(_ _)m


私のなかでは、新しい時代の「女性性」は、
上記の「男性」ありきにくっついてるもの、
「男性性」に付随するものとは、
なんか違う気がするんだよなあ、と思っていた訳です。
もっと根源的なものではないかな..と永らく思っていた訳です。
むしろ、男性性を内包するような・・。

     ・

というわけで上記のような時代的「女性性」イメージに疑問をもちつつ、
私の中で密やかに在りつづけていた「根源的」女性性イメージは、
大地に根ざしたしなやかで強く、
何とも言い難い神秘性を帯びた女性の姿でした。
東南アジアやインドで見る女神像みたいな。
宇宙そのものみたいな。
縄文土器の、力強い性をあらわす模様のような。
ポール・ゴーギャンの絵にも、
たまにそういう女性の姿が見られるように思います。
(タヒチの女性ですね)


あ、いま、思い出しましたが
私は美大のときに裸婦を描く課題で、
それをとても力強い感じに描きたくて描いたら、
講評で先生に、「これは女ではない」
と言われたことがあります(笑)
なんでやねん、とおもいましたが、
そのころから、そういう感覚をもっていました。(笑)
まあ、それは余談です(笑)


つまり、ずっと女性性とは
女性性の時代とはなんぞや?
となんだか「ひっかかり」続けてきたのです。

    ・

で、あるときアーユルヴェーダの本を読んでいたら

女性性は「育む」性だ、と

書いて在ったんですね。


それで、なんだか殆どすべて解ったような気がしました。
うあーすっきりした、という感じ(笑)


「育む」ということは、
「生命を次の世代に、より良く繋げていく」
ということだと思います。


ああ、これからの時代は、ほんとにそうなるなあ、と思い、そうなってほしい、とも思いました。


それは子育てでも、科学技術でも、農業でも、教育でも、お商売でも、ものづくりでも、芸術表現においても、ただ生きてるだけでも(笑)、毎日、毎秒できることだし、今後はより根本的にその思い、意図がなければいけないと思います。
我よし、でなく、地球も生命も我が子もあの子も育む、ものづくり、ひとづくり・・。

「育む」ことは、完全な利他ですよね。
そして愛情や思いやりが基本にありますよね。
そして与え続けることです。

もっといえば、
「育む」というのは、
自分を上手に「殺していく」ことでもありますよね。
ママが我を張っていては、子供はうまく育たない。
自分がより良く「死んでいく」ことも
次の世代に生をつなげることだと思います。
それが昨今上手くできていないことの象徴が、ご存知、原発ではないかと思います(笑)
さらに、遺伝子組み換えなど。
うまく収束させられない。させられないものをつくってしまう。
それは次の世代を「育む」のとは逆ですね。
より良い「死」を考えることも、より良い「生」をつぎに繋げることに含まれると、思います。

(ちなみに、ここで言ってる「自分を殺す云々」は「自己を犠牲にする」こととは全く違います。
「自己が犠牲になっている」というのは、単なる被害者意識の幻想です(笑))


生命を「育む」
周りの人を「育む」

完全な利他ですが
だからこそ、
そのことによって、自分も育まれる

「自分を愛する」というのはたった一人できるかもしれませんが
「自分を育む」というのはできないです。

   ・

私のまわりでも、感性の鋭い人ほど、
もうそちらのに向かいはじめていると感じます。

いろんな人を癒したい!
自分の両親を元気づける為に、自分の仕事に巻き込みたい!
など、私のまわりの、
私より若い女性が、考えはじめ、「まわりを生かす、育む」方へ動き始めてます◎
やることが大きいか小さいかなんて関係ない、できることをやる、のが素晴らしいことだと思います。

ほんと、若い人から学ぶ時代ですね。
若い人の方が、感性が鋭くて「わかっている」から。
でも社会での経験はまだまだ浅かったり、そのために自信が揺らぎ易かったり、自分に疑問を持っていたりするので、私くらいから上の世代の人たちは、そういう人たちをがんがん誉めて元気づけて、できるサポートをしてあげて、自分もそこから学んだらいいと思います。
Little-treeも精進します。


ちなみに・・。
「育む」ことは「コントロールする」ことでは、ないです。

と、わざわざ書くのは(笑)

「<育む>といいながら、<コントロールする人がいっぱいいるから>」ではないですよ(笑)

あしからず(笑)。

「<育む>ことは、<コントロール>することに繋がってしまうのではないか?」と

「育む」ことを恐れている人が、この世の中に、まだたくさんいらっしゃるように思うからです。

「育む」ことは、生命の根源的な要求だと思います、だから、誰にもできると思います。
もちろん男性も女性も。

意図が純粋であれば、ときに間違うことも、「育む」という大きな木の、一本の枝に過ぎないと思います。

そんな「育む」意図のなかで、ときに錬られて、削られて、鍛錬され精錬されたものは、愛に溢れて奥行きある美しい素晴らしいものになるに違いないでしょう?












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