little-treeの Tree of Life
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破壊と再生
インドに古くから信仰をあつめる、

カーリー女神という神様がいる

殺戮と破壊の女神だったとおもう

おそろしげな様相をしている

血まみれの舌を出している。

しかし恵みの女神

エゴを殺戮し破壊し、再生へ、

そして目覚めに導くといわれ、

厚く信仰をあつめている。





どのようなものでも

集団・組織・グループというものは、

政治組織や企業という大規模なものから、

2、3人の仲良しグループでさえ、

「集団」として機能しはじめ、しばらくすると

最初の思い、目的は純粋だったとしても

いつのまにか知らぬうち

利己的になったり

排他的になったりすることがある。


本来の「動き」が「固まり」はじめる。

女性性の、

「自分の世界をつくり、守り、維持したい」性質が

「動く」方向から「固まる」方向に出始める、

とも言えるかもしれない。

自分がつくりたい世界を守るために、エゴは、

暗に、「仲間よね」、と約束させたり、

だれかを仲間はずれにしたり

陰口を言ったり

あっちとこっちで違うことを言ったり、

なんでもするのである。


そして男性性の攻撃性は、

当初の「創造性」という方向でなく、

「ほかのもの」に対する「闘い、防衛」という方向性で

表現されはじめる。

「われわれは(われわれだけが)正しいのだ」

あるいは、正当性がなくとも、

「これがここのルールなのだから」と。

まさに、ちから技である。



本来の生命活動としての

「創造し、動かす」ためのエネルギーが、

ただ「維持し続け、固定するため」に

使われはじめる。



往々にして

渦中のひとびとは

自己欺瞞にうっすらと気づいていながら、

集団であるがゆえになおのこと、

自己正当化する。

保身のために、

そこに居続けるために、

または居続けさせるために、

攻撃されないために、

なにかを得続けるために、

優越感を感じ続けるために、

自分の価値を確認し続けるために、

またはそこにずっといるしか仕方がないという

思い込みによって、

あることについて、「黙る」。

見ていないふりさえする。

「ここではそれが(またはその人が)

ルールなのだから仕方ない」などと。

そしてそれが普通のようになってくる。



ある人が、もしその欺瞞を指摘したり

その結果、集団から去ったなら、

ときにその人は、残った人達から

「異端児」「裏切り者」とされるだろう。

その集団のエゴにとって大切な

「維持」を破壊したのだから。

自分の求める「維持」を継続させるために

他人をコントロールしたいエゴにとって、

それを破壊する者は、「悪者」である。




そして集団に残った人達は

自ら「特別」になっていく。

「味方」と「敵」が生まれる。

「私たち」と「それ以外」が生まれる。

そして、複雑化して、

その集団には「指摘してはならないこと」が生まれ

暗黙の了解となっていく・・




なぜそんなことが起こるのか?


それらの人達は

いまあるものを破壊されることへの

恐怖からのがれるために

自分の真実に従うことを断念し

自己正当化を選んだのだ。

そうすることで仮の「安泰」を手に入れたのだ。

優越感、排他的な仲間意識、

安定、安心、愛情に似たなにか・・。

人は、

ときには、傷つけあう関係性であったとしても、

そのつながりや依存状態や、

または、単に「現状」を、破壊されるのを

恐れるのだ。


そして、もし自分が「みなが黙っていること」を

指摘し明るみに出すことをすれば、

自分自身と、自分の「もっているもの」が

破壊されると思って、恐れ、保身に走り、

(少なくともその集団のなかにいるときは)

黙り続ける。

しかしそうすることと引き換えに、

自分自身の真実を失っていく。




本来

つくりあげたものは

壊れ続けるしか方法はない。

創造の本質を維持するためには

破壊されつづける必要がある。

生まれた人間も

毎瞬毎瞬、死に続けているのだ。

壊し続けられることでしか

再生され続けられない。

自分のつくりあげたお城は

つねに壊し続けられるのだ。

または自分の、

「こんなお城をつくりあげたい」という

「期待」さえ、破壊されることを

受け入れなくてはいけない。

破壊によってこそ、再生し、

新たな創造が生まれるのだから。



たとえば、あなたや私の腕は、

ずっと腕だけれど、

それをつくる細胞は

どんどん死んで、

生まれ変わっている。

むしろ腕が腕であるためには

細胞は死に、生まれ変わらねばならない。

そうしなければ、

それは腐っていやな匂いをはなつだろう。

腕は腕でなくなるのだ。

それは自然の法則だ。




壊すことを恐れる必要がどこにあるのか。

破壊の女神の、おそろしげな様相に

騙されてはならない。

破壊し続ける中にしか

創造も再生も

永続も豊穣もないのだ。



もし破壊なしに「ただ維持し続けよう」とするなら、

利己主義、排他、コントロール、欺瞞へと進み、

人間性が腐敗する。



自己が本当に正当であると

本心から思うならば、

排他的である必要はない。

破壊されたもの、去ったものを

否定する必要もない。

いまそこに居る人々に

無理に同意してもらう必要もないのだ。

本心から正当であるためには、

自己欺瞞を、そして

「保身のために維持し続けたい」と恐怖に叫ぶエゴを

破壊しつづけるしか方法はない。



人間の根源的な恐怖、

つまり「現状そして古いものを破壊する、

または破壊される」ことへの、

理由なき恐怖が、

「保身」をまねき、

それがどんな役に立たないものであっても

維持しようと固執させ、

家庭から政治、そして原発にいたるまで、

あらゆる集団において、多くの問題の原因である

欺瞞をつくっている。

それがまざまざと目の前に見せつけられていても

「それが世の中だ」

「それが大人の社会だ」

「そんなこと、いいじゃない(私には関係ない)」

と言うとすれば、

自分たちのそういう意識こそが、

たくさん寄り集まって

いまの社会の様々な現象をつくっていると

気がつくべきだ。




たとえば欺瞞に満ちた政治をしている人達の恐怖は、

あなたの、そして私の恐怖と同じものだ。

現状を破壊することへの根源的な恐怖。

破壊なくして再生はないとわかっていても

人は理由なく、壊し壊されることに対して恐怖する。

言い換えるなら「いまあるものを失う」ことへの

漠然とした、しかし根源的な恐怖。

だから、その人達の欺瞞は、

あなたの、私の、自己正当化と自己欺瞞と同じものだ。

同じ根源、つまり同じ恐怖に根ざしている。




カーリー女神は、殺戮、破壊の女神だ。

しかしそれを恐怖とみるか

想像、再生、繁栄の一側面だとみるのかは

その本人次第だということに

気づいているだろうか。

破壊、死というものは

創造、生がある限り

必ず、対になって在るものだ。



一方、恐怖は、

人間がつくり出した、

完全な幻想である。



政治家や原発を推し進めた人々を批判するときに

あなたは、自分の毎日のなかで

自分で気づかないほどにあたりまえになってしまっている

欺瞞や自己正当化を、

破壊する勇気があるだろうか。

そのまえに、直視する勇気があるだろうか。

「おかしいけれど、指摘してはならないこと」を

家庭のなかで、学校のなかで、会社のなかで

まっさきに指摘することができるか?

誰かが指摘したことを、受け入れられるか?

その指摘は小さなことのように見えるが

その破壊のひとかけらが

再生につながるのだ。

そしてその破壊のひとかけらが無ければ

腐敗に向かうのだ。

それはいつも、紙一重である。



そして、

あなたが、私が、自らの恐怖を直視し

そこにある欺瞞を破壊できたそのときにはじめて、

社会も、再生と新しさへ向かうことが

できるのではないか。










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