little-treeの Tree of Life
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レディ・メイド
昨日/今日と、姪っ子が家に来ていた。
2歳のふたごは、女の子でも爆弾のよう・・嵐のようにきて嵐のように去って行った。
子どもの感性ってほんとに自由で、独創的で感心してしまう。
会うたびに面白くなって行く。これからどんな風に、それぞれの個性を発揮していくんだろう!

さて、今日読んでた茂木健一郎さんの新刊、「それでも脳はたくらむ」に、マルセル・デュシャンに触れている箇所がある。


デュシャンは、超有名な現代美術アーティストです。アートに少しでも興味のある人は、既製品の洋式便器にサインをして発表した「泉」という作品を、どこかで見たことがあるはず。

デュシャンのそうした「レディ・メイド」という手法について、茂木さんはこう説明している。
「すでにあるもののうち、自分の鑑賞眼にかなうものを見いだし、それを自身の表現として採用する。何もやっていないようでいて、しかし何を選ぶかという点において、その審美眼が問われている」

私はいままで、デュシャンの「泉」をみても、ぴんとこなかったのだけど、これを読んで、はじめて「レディ・メイド」という現代美術と自分の経験がつながったし、なぜだか今日のわたしにフックした。

日常でほんとうにココロから良いと思って選んだ装身具や家具や、装丁や内容に愛着を持ち大事にしている本やレコードなどは、「レディ・メイド」にとても近い。(サインの代わりに、うっかり付けた引っ掻き傷とか珈琲の染みとかチョコの指紋とかがついていれば完璧!?・・というのは冗談ですが)

まず自分自身で云えば、流行がどんどん移ろって、自分がどれくらい成長したり変化したように思っても、奥の方でずっと変わらない、自分の核の部分にふれるビジュアル/雰囲気というものが絶対的にある。それにカチッとはまるものに出会えた時は、とてもうれしい。それに、そういった「もの」の存在が、自分の立ち位置が揺らいだときに中心点を想い出させてくれる、という体験も何度かしてきた。

また、ほかの視点から云えば、その人自身を映し出すモノ選びをする人は、とても魅力的に映るし、また、日常のものをとても丁寧に選ぶ人はとても信頼できるような感じがする。
友人がその人らしい洋服や、アクセサリーを身につけているのを見ると、とてもいいなと嬉しくなるし、ある人のセンスの「核」が理解できた時には、その人の価値観や性格についても理解できるようになっていて、その人との間に信頼感や友情が生まれているように思う。

そういう風に考えれば、自分自身の「核」の部分に触れるモノを本気で選ぶことは、自分自身から周囲にむけての、自己の「表現」のひとつの方法である、ということはとても理解できる。それは、作品として自分の理想的な(ものとしての)ヴィジョンに限りなく近い、と言う意味で、また自分にしか選べない、と言う意味でも、ゼロから何かを生み出すことに何ら劣るわけではないだろう。また、クリエーターにとっては、それが「自己探求」の作業でもあるし、そのものから受けるインプットが、さらなるクリエーションにつながっていく基盤ともなっていくだろう。

無意識にものを選ぶだけでなく、意識的に「わたし」にしか選べなかったものを選び、それに「私がこころから選びました」というサインを他者にも明確にすることで、日常も表現活動となる。
それを各個人がするようになれば、なんてユニークで楽しく開かれた世界に鳴ることでしょう!
なーんてことを思いました。
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